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縄文文明から学ぶ(2) ~多様性と閉塞、又は自由と平等~
人類史の中で争いや戦争が始まったのは、定住し交易が始まり、所有意識が発生してきたからだという説がある。この傾向は、農耕社会が始まり、余剰生産物が発生し、貧富の差が現れて強まった。そして仕事が分業化し人口が増え、都市化が進むことによって、国家が出来、官僚組織、ピラミッド型の組織が造られ、文明が発生してきたと言うのが通説だった。
しかしながら縄文文明はそのような説を覆し、豊かな生活、文明を築いてきた。そして最近の人類学、考古学の発展は、これまでの歴史観を覆し、人類史そして人類とは何者かに関して劇的な変化をもたらしつつあるように思われる。
その典型例として、最近世界的ベストセラーとなりつつあるデヴィッド・グレーバー、デヴィット・ウェングローの共著「万物の黎明」が挙げられる。
この著書の中で彼らは、狩猟採集時代を、未開で、未熟な人類の幼年期としてではなく、多くの事例をもとに、創造力豊かな成熟した大人の社会として紹介している。その事例、証拠として、大航海時代、アメリカ等世界中へ渡った人々の驚きの記録を紹介している。そこではアメリカ先住民からの、当時の西欧近代人に対しての多くの批判が記されている。自由で平和的な先住民に対して、貧欲で野蛮な西欧人という批判である。
古代の狩猟採集社会は、日常的な食物、料理、衣服、考え方、文化等驚くほど多様な社会だった。そして耕作の技術ノウハウを知っていても、あえて農耕を行わなかったり、また都市化してもそれを壊したりと、直線的な時間軸でなく、自由に、遊びのように社会をも作っては壊していた。
想像力に富み、知的で、遊び心があった人々が、生活用具や暮らし方だけでなく、社会組織まで、自由に組み換え創造していくという世界だった。
ここで自由とは①共同体間を移動する自由であり、②服従しない自由であり、③共同体社会を協力して創り直す自由であった。
現代社会の新自由主義によるグローバリズムの均質的社会、この制度しかありえないと思う思考の呪縛、閉塞感とは対極的な自由さで、多様な文化、文明圏を築いてきたようだ。
縄文でも各共同体社会が多様な発展、展開を見せており、しかもこれらが平和的に交流していた。この交流圏は日本全国及び周りの島々にまで及び、優れた航海術で広い生活圏、文明圏を造っていた。縄文人の体には戦いの痕跡が殆ど無く、対人用の武器も発見されていないので平和な時代が1万年以上の長きにわたって続いてきたと言われている。
他と同じという平等意識ではなく、他の共同体とは違うという多様性の認識こそが互いに自由だと言う意識をもたらし、多様な創造的文化を生み出してきたのではないだろうか。
自由であることは、社会システムを含めて何でも想像・創造できるという力、意識を生み、閉塞的な意識や行動からも自由になれる。こうした自由の・人間の再発見は、戦争や気候変動、貧困等の現代文明の危機を乗り越える原動力になるのではないだろうか。
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