メインコンテンツ
日本の没落と再生
最近世界における日本の地位の低下がよく話題になります。1980年代ジャパン・アズ・No1と言われ世界のトップクラスを走っていた日本は、30年程経った今では先進国であることを疑われるような状況になってきました。
2000年には中国のGDPは日本の4分の1だったのが、今では3倍になりました。アメリカに対しても1995年に7割ほどに迫っていた日本のGDPは、今では4倍に引き離されています。世界経済に占めるウェイトも1989年の15.3%から2018年には5.9%にまで落ちています。そして当時は世界のトップを競っていた一人当たりGDPも今では世界の20位以下に落ち、韓国にも抜かれました。
国際競争力は1989年から1992年までは1位だったのが2002年には30位にまで低下し、現在も低迷しています。当時は自動車、家電、半導体、環境機器等世界のトップを走っていたのがあっという間に抜かれてしまいました。まだ競争力のある自動車も、電気自動車化への対応では後れを取り始めています。
こうした経済的指標だけでなく、教育・研究面では学力の低下、引用論文の減少、大学ランキングの低下が顕著であり、またジェンダー問題や、言論の自由度等も世界で100位以下ととても先進国と言える状況ではありません。日本の技術力の象徴であった技能五輪でも今では話題にならないほど低迷しています。
失われた30年とも言われますが、なぜこのようなことになったのでしょうか?
この30年間は、社会主義圏の崩壊から、新自由主義に基づくグローバリズム、IT化、デジタル化が進みました。この時代の変化に対応できず、それまでの成功体験から抜け出せず、固定観念の中で夢見ているままに時間が過ぎていきました。
バブル崩壊までの日本は、文明化の旗印のもとに、アメリカに追いつき追い越せと必死に努力をしてきました。この目標、文明化=経済的進化が達成された時に、すでに工業化社会としての文明の進化は終わり次の段階へ来ていたのではないでしょうか。
それまではあまり考えることなく、工業製品の品質改良、新商品の開発と言ったレベルで考えればよかったものが、もっと根本的な生活、文化、情報化、世界史的な視点から考えることが必要になってきました。
知識偏重、暗記教育、決められたことを着実にこなす能力だけでなく、コンピュータに使われるのではなく使いこなす能力、自分で考える能力、知恵等が必要になります。
教育面でもやっと知識だけでなく、「アクティブ・ラーニング」考える力を養う能動的な学習を取り入れましたが、これを指導する教師が、指導する能力があるかどうかが問われています。形だけ、口先だけ、表面的なアリバイ工作では実効性は上がりません。
今また感染症や気候変動、戦争の危機が顕在化しています。SDGsやESGも目標に掲げられていますが、これらを本当に実現していくためには、世界的な規模で、今の文明そのものの課題を解決する、文明の転換が必要ではないでしょうか。
世界に追随するのではなく、新しい文明の旗手になることが、1万数千年前からの縄文以来の文明と、2000年を超える国家の歴史を持つ日本の役割かもしれません。
お気軽にお問い合せください
-
052-851-6311
受付時間:月~金 9:00~17:00